長崎県の北西に位置する平戸市は、日本の陸路(離島除く)の最西端に位置し、大きく分けると「平戸島」「生月島」「的山大島」「度島」「九州本土の一部(田平町)」から成ります。
平戸島は本土と「平戸大橋」で繋がっており、平戸島と生月島は「生月大橋」で繋がっており、車で行くことのできる島になっています。
博多から車で約2時間、佐世保市街地から約45分、ハウステンボスから約1時間、長崎市内から約2時間の場所にあります。


平戸は古くから海を通じた交流が活発な場所でした。遣隋使、遣唐使の時代は中国大陸に渡る際の寄港地として使われ、弘法大師や栄西なども平戸に立ち寄っています。その後、倭寇が活発になり、中国大陸との交流が盛んになると、戦国時代にはポルトガル船が来訪、そのポルトガル船を目指して鹿児島で布教をしていたフランシスコ・ザビエルも平戸へ訪れます。長崎県内で初めて布教が始まった平戸ではキリスト教が爆発的に広がりを見せました。その後、禁教の動きが強くなり、信者たちは「潜伏キリシタン」として信仰を続けます。

17世紀初頭の平戸には、オランダ船、イギリス船が訪れ、徳川幕府の許可を得て、日本最初の西洋貿易港として平戸は栄えます。異国の文化の発信地となった平戸。港町には外国人が行き来する姿がありました。その後、貿易港は幕府の命より、長崎市の出島へと移され、平戸の西洋貿易の歴史は幕を降ろします。
明治になると、禁教が解け、長崎・天草地方では多くの潜伏キリシタンがキリスト教へと復活を遂げます。平戸の地にも県内各地から移住者が訪れ、教会が次々と建立されます。しかしながら、生月島・平戸島西海岸部の潜伏キリシタンの方々の多くは、キリスト教への復活をせず、禁教時代と同じ形式での宗教を続けることを選択し、「かくれキリシタン」と呼ばれました。今なお、現代でも生月島では約300人ほどのかくれキリシタン信者が尊い信仰を続けています。

今、平戸は島と海の美しい風景のなかに、歴史を物語る建物や史跡が残されています。平戸を訪れ、その景色と、歴史とロマンに少しだけ触れてみて下さい。海に浮かぶ美しい島々に残された先人たちが積み重ねた本物の歴史に酔いながら、平戸はまた新たなロマンを求め続けます。



平戸の1/5は西海国立公園に指定され、美しい海と大自然が広がっています。大草原が広がり、頂上からは辺りの海や島が一望できる絶景の「川内峠」、死ぬまでに行きたい世界の絶景-日本編(詩歩 著)に掲載された「人津久の浜」、生月島の西側に広がるリアス式海岸の屈曲に富んだ海岸線の道路「サンセットウェイ」など、思わず息を飲み込むような美しい自然風景がたくさんあります。


2018年、ユネスコの世界文化遺産に登録されましたが、そのなかに平戸市からは「春日集落と安満岳」「中江ノ島」が登録されています。また、平戸を訪れると数多くの教会に出会います。教会の美しい外観、神秘的な雰囲気の内観に思わずうっとり魅入ってしまいます。現在、平戸の人口の約1/10がキリスト教を信仰し、14のカトリック教会があります。特に国指定重要文化財である「田平天主堂」や平戸で最も古い「宝亀教会」、フランシスコ・ザビエル像が設置されている「平戸ザビエル記念教会」などは多くの観光客が訪れます。美しい教会堂を見ながら、信仰の尊さを感じる平戸の教会群を巡ってみてはいかがですか?


平戸の中心市街地には、平戸のシンボルとも言える「平戸城」があります。その周辺の城下町には、当時のオランダ貿易の拠点であった「平戸オランダ商館」や、貿易時代の史跡が数多く残っており、街なかには南蛮菓子を販売する菓子舗が何店舗も。この他、平戸藩松浦家の歴史と貴重な史料が展示されている「松浦史料博物館」、石畳に寺院の屋根と教会が重なって見える「寺院と教会が見える風景」が観光スポットとして人気です。


「じげもん」とは長崎弁で「地元の物(者)」という意味。平戸では旨いじげもんがテンコ盛り!豊富な海の幸は、「鯛やヒラメの舞い踊り」と言わんばかりに、数百種の魚が獲れ、特に「天然ヒラメ(1~3月)」「本クエ(11~12月)」や「鯛茶漬け」は有名です!このほか、幻の和牛とも呼ばれる「平戸和牛」や「平戸ちゃんぽん」、シュガーロードの出発点として歴史のある「平戸スイーツ」も。平戸の食に思わず舌鼓を打って下さい!詳しくはコチラでお店を探しましょう。