春日集落と安満岳の詳細説明

春日集落と安満岳の詳細説明

春日集落と安満岳の詳細説明春日集落と安満岳(写真提供:日暮雄一)

長崎県平戸市西岸地区春日町。ここはかくれキリシタンの信仰を継承してきた集落です。美しい自然が広がる春日集落の人々は、山や川など自然の中の物を古くから信仰してきました。安満岳は、神道、仏教、キリシタンの信仰の対象となっている霊地で、頂上の岩場から眼下に生月島を望むことができます。
春日集落とキリスト教の歴史は、約460年前にまで遡ります。領主の籠手田氏がキリシタンの洗礼を受けた後、改宗を指導したガスパル・ヴィレラ神父の手によって、住民がキリスト教に一斉改宗し、春日集落は日本における初期のキリスト教の地となりました。このように多くの村を含む広い地域で一斉改宗がおこなわれたのは、籠手田領の改宗が最古の事例だといわれています。

春日集落の十字架と教会

宣教師ルイス・デ・アルメイダの書簡より春日集落に教会を建てられたことが分かります。
「春日に到着すると、そこで人々は我々の訪問についてすでに知っていました。というのも、十字架を掲げての行程は、あたかもキリストの聖体拝領の行列のようだったからです。
祈祷を捧げた後、その土地の主要人物であるキリスト教徒の家に宿泊した。そこで彼らに対していくつかの説教を行い、その土地全体がキリスト教徒で全量な人々であったことから、私はデウスに祈りを捧げ、パードレが来たとき、彼らのためにミサを挙げるための一軒の家屋を造るようにと促しました。
みな満足し、すぐにその工事にとりかかった。他の教会についてもそうしたのと同様に、平戸の教会用の装飾具も彼らに送りました。この教会は海も陸にも大変見晴らしの良い、風通しの良い、信仰深い土地にあります。」
ただし、現在のところ教会が経っていた明確な場所は分かっていません。
また、別の資料からは「彼ら(春日の人々)は皆で協議して、そこに立っていた十字架の根本から小さな木片を切り取って、それを燃やし、灰を水に投げ入れ、その際、我らの主(なるデウス)に、誰がかの盗みを働いたかを明かし給えと祈ることに決めた」という文言があり、春日に十字架が建てられていたことが伺えます。

丸尾山の十字架

丸尾山の十字架

この春日の十字架の建立地で考えられるのが、春日の棚田の中にある「丸尾山」です。その当時、十字架の建立地として小高い丘の頂上を選ぶ傾向にあった事がまず挙げられますが、それとともに、キリシタン時代、十字架の近傍地に多くの信者の墓地が設営されています。丸尾山も、これまでの発掘調査で、キリシタン時代の墓と思われる長方形の土坑が多くみつかっており、ここに十字架があった事の有力な証拠となります。ただし、教会を建てる程の平坦地の造成は見受けられず、あくまで十字架のみが丸尾山にあったと考えられます。

禁教時の信仰

禁教時の信仰丸尾山祀り

しかし、キリスト教が盛んになると、安満岳の仏教勢力はキリシタンと激しく対立したといわれており、キリスト教への改宗を進める過程で仏像を焼いたりしたことから、仏僧や仏教徒の反感が強まり、平戸領主松浦隆信(道可)に訴えて改宗を主導したヴィレラ神父を領外に追放します。その後、隆信から家督を継いだ松浦鎮信(法印)は禁教政策を強め、1599年に籠手田氏らは長崎に退去しました。教会や丸尾山の十字架も、その後に破却されたと思われます。しかし、のちにキリスト教の信仰が禁止されると、人々は仏教や神道を受け入れながら、密かにキリシタンの信仰を継承します。弾圧が厳しくなるようになると、信徒たちは安満岳の山頂を密かに拝所としました。山頂にいたる石段を登っていくと、鳥居の先に拝殿があり、その裏には大きな石の祠があります。この祠は「安満岳の奥の院様」として、潜伏時代のキリシタンから今日のカクレキリシタンに至るまで、キリシタンの神様が鎮座する霊地として信徒の信心を集めてきたのです。
また、丸尾山も信者によって崇拝されていた様子が伺えます。丸尾山は田畑を見渡せる好適地にありながら、何かの施設が建てられたり畑や牧野にされる事も無く、ただ頂上に祠が建てられ集落の聖地として維持されてきました。現在でもキリシタン行事ではないものの「丸尾山祀り」というお祀りが残っています。

現在の春日集落

現在の春日集落_1

オテンペンシャ

現在の春日集落_2

お神様

禁教後の春日集落では、かくれキリシタン信仰を続けてきました。しかしながら、かくれキリシタンの組織的な信仰は現在では消滅しています。
春日のかくれキリシタン信仰では、かくれキリシタン信者(の家)が所属する組を「キリシタン講」と呼び、春日集落と近くの白石地区で2つの「キリシタン講」がありました。1つの講は平成に入ってから解散をし、もう1つの講はそれよりもずっと早くに解散をしています。解散後は、御神体を持つ世帯では、それをそのまま神棚などに祀っています。
御神体としては、お神様(お札)やオテンペンシャ(祓いの道具)などがあり、現在、レプリカを春日拠点施設「かたりな」に展示しています。
現在では組織的な信仰は消滅しているものの、今でもキリシタン信仰に由来する御神体や信仰の場所が大切に守られ、禁教時代に並行して信仰されてきた安満岳や神社などの施設が、春日の景観のなかに残っています。人の手で作り上げた美しい棚田は、江戸期の絵図にも現代と変わらぬ形で描かれています。豊かな自然と人工物との融合した景観に思いを馳せながら、春日の人々の生きる力が息づく場所に憧憬を抱いてみてください。

霊地・安満岳

安満岳頂上への参道

安満岳頂上への参道

霊地・安満岳_2

白山比賣神社の裏にある石祠

 安満岳の頂上には白山比賣神社がありますが、加賀の僧泰澄が白山権現の霊夢によって勧請したものといわれ、本山を石川県にある白山としており、718年(養老2年)に建立され、山全体が御神体として信仰の対象となっております。
神教のみならず、仏教徒からも古くから崇められていた歴史もあり、揚柳山西禅寺も建立されて、真言密宗の修行僧達の修験場だった歴史があります。西禅寺は明治維新の際に神仏分離令によって廃寺となりましたが、庭園遺構や宝篋印塔が現在も残されています。安満岳頂上への参道は石畳になっており、その石の下に般若心経が書かれている(もしくは埋められている)とも言われており、昔は靴を脱いで裸足で登っていました。
 白山比賣神社の裏手の山に入っていくと、潜伏キリシタンが拝んでいたと思われる石祠があります。安満岳は、春日集落の信徒のみならず、平戸・生月地方のどのかくれキリシタン集団の神寄せの言葉の中にも「安満岳の奥の院様」としてあらわれており、潜伏時代のキリシタンから今日のかくれキリシタンにいたるまで、キリシタンの神様が鎮座する霊地として信心を集めてきました。