平戸城下町さるく「大航海時代の城下町」
ツアー案内とコースのみどころ
開催期間と日程
平成19年10月6日〜平成20年3月31日までの 土・日・月・祝日 開催
時 間 午前9時30分出発(9時15分までに集合)から11時30ごろまで
集合場所 平戸港 交流広場 平戸観光案内所
参加・申込み 当日9時15分までに平戸観光案内所集合(前日までに予約を頂けると優遇)
参加人数 20名
参加料 大人お一人 500円 高校生以下小学生まで300円
コース 交流広場 〜 オランダ商館跡 〜 松浦史料博物館(別途500円)
〜六角井戸 〜寺院と教会の見える風景 〜 王直屋敷跡 〜
按針の館(休憩) 〜幸橋 〜 交流広場
崎方町
崎方町は平戸港の入口に位置し、古くから魚の加工や魚商売の問屋が多く軒を連ねた町です。西欧貿易時代、オランダ商館が設置されたのもこの町で、商館より古い地層からは朝鮮や中国の陶磁器辺が出土しました。
今でも海産物の製造販売をする商店が軒を連ね、昔の風情をかもし出しています。
松浦史料博物館
1620年当時、蘭英貿易が盛況を極めた時代の藩主松浦家の居館跡です。石垣などは、当時のままで、建物は、廃藩後1893年(明治26)松浦氏の邸宅として建てられ、鶴ヶ峰邸と呼ばれていました。
現在、歴史博物館として平戸藩の資料や藩主の調度品、貿易時代の南蛮紅毛渡来の品々、豊臣秀吉のキリシタン禁令文、その他名画、陶器等の美術品、文献類等約3万点余が収蔵・公開されています。
また、庭園には茶道鎮信流の茶室「閑雲亭」が開放され、呈茶が行われています。
オランダ商館跡
平戸港北東部にあたる崎方町一帯は、1609年(慶長14)にオランダ商館が開設され、1641年(寛永18)長崎出島に移転するまで約33年間、わが国唯一のオランダ貿易の拠点施設が置かれた場所です。商館は、当初は土蔵付き民家を借りてスタートしましたが、1611年(慶長16)崎方町の町屋22軒を壊して住宅・倉庫を建て、1618年(元和4)には付近の民家50戸を取り払い、本館、倉庫、門長屋、鳩小屋、石造火薬庫、病室等を増築、この時オランダ塀も築造されました。その後も本館、宿泊所、調理場等が増築され充実整備されました。
今でも商館の一部であった塀や井戸、埠頭などが残されています。今、オランダ商館の復元工事が進められています。
寺院と教会の風景
平戸で有名な観光スポット。単に寺院とカトリック教会が重なって見えるというだけでなく、平戸の隠れキリシタンの歴史を象徴する風景と言えます。平戸に伝えられたキリスト教は布教、禁教、弾圧、潜伏、カクレの時代へと変わっていきました。禁教下の信者は、いわゆる潜伏という形で密かに信仰を続け明治を迎えます。その間、表面では仏教徒を装いながら、納戸神を祀って信仰を続けました。今でもこの風景を通じ多くの人々にこの歴史を語りかけて来るのではないでしょうか。
峯王直屋敷跡(印山寺屋敷跡)
王直は中国福建出身の海賊の首領。1542年(天文11)平戸に来航、以来1557年(弘治3)に明国により捕らえられるまでの15年間、平戸を本拠に日明の交易を行なった。
第25代平戸領主松浦隆信は、勝尾岳東麓に住まわせましたが、その邸宅は中国風の豪壮なものだったと伝えられます。王直の来航により、平戸は中国との交易が発展、全国から多くの商人が集まって、平戸は「西の都」と呼ばれました。
また、王直屋敷の隣は、1564年(永禄7)松浦隆信によって、天主堂「天門寺」(御宿りのサンタ・マリア教会と命名)が建立されました。一時停滞したポルトガル貿易の再開を狙って宣教師の歓心をかうため道可隆信が建立した教会です。建設当時から宣教師ルイス・フロイスら4人が常駐し、博多以西の教区を持つ西日本有数の教会でした。
イギリス商館跡
イギリス商館は1613年平戸に設置されますが、その所在地、範囲については、確実な資料がなく詳しいことは分かっていません。1621年(元和7)にオランダ人が描いた平戸港古地図を見ると、現在の幸橋付近にアーチ式門や円筒形の建物、海岸には埠頭らしき階段が描かれており、この地一帯に存在したと言われています。
現在、平戸市役所の玄関前に昭和2年に建立されたイギリス商館遺跡碑が建っています。この碑文に「1613−1623年の間、この地の向こう岸にあったイギリス商館及びその館員、並びに貿易に従事したすべての人々の記念のために」とあり、ここにはイギリス船を係船したというイギリス松と呼ばれた大きな数本の松の木があったがそうです。
按針の館
木引田町の古商家をコミュニティー施設として改装、開放したもので、雛祭り期間中の拠点会場ともなっています。この町屋は古くから貿易商の木田家が所有するもので、
三浦按針が下宿した、とも言われる建物です。 今は町のほっと一息の場所となっています。
幸 橋 (国指定重要文化財)
1669年(寛文9)第29代松浦鎮信は、亀岡と町屋の一番近い所に木造の「幸橋」架けました。しかし老朽化が進み、1702年(元禄15)には第30代松浦棟は、石橋へと架け替えを計画しました。その工事にあたりオランダ商館の石造り建築に従事した石工の子孫「豊前」から、オランダの石造技法を使っての工法が提案され、見事に完成しました。このため愛称として「オランダ橋」と呼ばれるようになったのです。
石橋を架けるにあたり、鏡川上流に架かる法音寺橋を試しに架設したという伝承があります。幸橋は、1984年(昭和59)全面解体して改修復元ざれ、同時に幸橋御門も復元されました。