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聖フランシスコ・ザビエル記念教会(平戸ザビエル記念教会)
ザビエル記念聖堂は昭和6年(1931年)に新聖堂の落成・献道とともに早坂久之助司教によって建てられた鉄筋コンクリート造の教会で、この名前は日本における最初の布教者であるイエズス会の宣教師ザビエルが、ポルトガル船の平戸来航に伴い、鹿児島に上陸した翌年の天文19年(1550年)、平戸を訪れ布教した事に由来している。
当時の平戸は中国船も盛んに入港していた国際貿易港であった。そして中国の貿易商「五峰王直」の手引きにより、ポルトガル船が入港するようになった。
そこで鹿児島で布教活動がおもわしくないザビエルはポルトガル船をたより、平戸をトルレス、フェルナンデス、ベルナルドとともに訪れ、当時の領主・南蛮貿松浦隆信(道可)に歓待され、布教の許可を得て布教活動をした。
貿易港として、定期的にポルトガル船が入港するようになった平戸では、藩主の協力もあり、布教が盛んに行われるようになった。
ポルトガル国王の庇護下にあったイエズス会は、利益の多いポルトガル船貿易(南蛮貿易)の仲介者としての役割を果たす事で、布教に必要な資金を得たり、領主に対して布教上の要求をしたりしていた。
平戸では、永禄3年(1560年)に、ポルトガル人と日本人商人(仏教徒)の間で、商取引のもつれから傷害事件が起きるが、その際には日本人キリシタンがポルトガル人を守るために武装・集結し、その調停で平穏化がはかられた。
しかし、永禄4年(1561年)平戸・七郎宮の前で起こった布の取引を巡る争い(宮の前事件)では、ポルトガル船船長以下13名が松浦氏の家来に殺害される事態となり、トルレス神父の退去勧告に従い、ポルトガル船は大村領の横瀬浦に移った。
その後平戸のイエズス会に領主・隆信は教会の建立を許可し、永禄7年(1564年)勝尾岳の麓に天門寺が建つが、翌年以降、ポルトガル船は布教に寛容な大村領や有馬領の港に入る事となる。
聖堂が寺院に囲まれ、洋の東西が混在して調和する、平戸の象徴的な景観を見せている。
エキゾチックな彫刻やステンドグラスなどに芸術的な感性も満たされ、リブ・ヴォルト(コウモリ)天井の聖堂で北松地区の主管教会となっている。
住所 平戸市鏡川町259−1
電話 0950−22−2442
見学 6時〜18時
駐車場 有り(無料)
地図はこちらから
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